(文責:嘉田由紀子 2014年6月23日)
「チームしが」設立への想い
琵琶湖をかかえる滋賀県の自治が大きく発展したのが、今から40年前の昭和49年に「県政とびわ湖を汚染から守ろう」と呼び掛け、激戦の中で現職を破り発足した武村県政であった。その2年前、昭和47年に始まった「琵琶湖総合開発」では、高度経済成長で求められた利水や治水、地域開発が重視され、琵琶湖の環境保全がないがしろにされていたからだ。そして昭和52年の赤潮の発生を契機に、武村県政では、当時としては日本だけでなく世界的にも先駆的な水質保全条例である「富栄養化防止条例」(いわゆる石けん条例)を県民運動の広がりを後ろだてとして制定し、その後の「琵琶湖研究所」「環境学習船の就航」「世界湖沼会議」「ヨシ保全条例」「琵琶湖博物館」「滋賀県立大学環境科学部」などの各種の琵琶湖環境政策のさきがけとなった。
武村知事時代から、稲葉、国松、嘉田という滋賀県政の40年の歴史を辿る時、国からの指示や命令ではなく、琵琶湖環境の状況をつぶさに調査研究した上で、滋賀県独自の政策を積極的に打ち出しながら、国や下流府県と協働して、琵琶湖保全の実効性をあげてきたことが分かる。それにはあくまでも地域自治が原点であった。
今、滋賀県には国からの経済発展重視の力が大きくむけられつつあることに私たちは強い危機感を感じている。特に若狭湾岸に集中立地する原発の再稼働には大きな不安を感じている県民が多い。それゆえ、近づく知事選のみならず今後の滋賀県政の発展を考える上では、中央の国からの指示や命令ではなく、あくまでも県民の願いと意思を尊重しながら、特定政党の枠にこだわらない無党派の大同団結により, ①「人の力」を活かし、「いのち」を守り、「草の根自治の滋賀」を発展させ、②琵琶湖をはじめ自然と共に生き、全ての人に居場所と出番がある「共生社会・滋賀」をつくり、③「しがの力」を伸ばし、活かし、力強く持続的な「経済と雇用の滋賀」が必要である、ことを、4月末から5月に開催された「県民の集い」で確認をした。
そこで、ゆるやかな政策集団として「チームしが」を私たちは提案をしたい。「私は政治には関係ない」「政治は遠い」と思っている若い人などにも「この指止まれ!」方式で呼びかけ、政治を近いものに、政治を自分事化するためのプラットホームにもしたい。
◆詳細な資料はPDFファイルでダウンロード下さい
→「チームしが」設立への沿革(PDF)
→4/13 第1回嘉田県政を検証する県民の集い【その1】(PDF)
→同県民の集い【その2】(PDF)
→同県民の集い【その3】(PDF)
→4/26 第2回嘉田県政を検証する県民の集い(PDF)
→5/7 第3回嘉田県政を検証する県民の集い【その1】(PDF)
→同県民の集い【その2】嘉田三日月会見(PDF)
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